インデックス |
西暦 |
年号 |
解説 |
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富士登山の始まり |
700年代 |
奈良時代 |
役 小角(エンノ オズヌ)という行者に |
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須山口登山道の始まり |
808年 |
大同3年 |
僧 空海(弘法大師)が光明寺開創須山登山道沿いに諸寺を開創平安時代には須山口登山道が有ったと思われる。 |
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富士山が噴火している |
781年 |
天応元年 |
この時代富士山頂はたびたび噴火を繰り返していた。 |
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富士山の噴火が休んで |
永保3年から西暦1511年(永正8年)の間、信仰の |
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史実が記録に残され始 |
源頼朝が富士山麓で牧狩りをする。 |
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大宮浅間神社の古文書に珠山口(須山口)の記録がある。 |
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1252年 |
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須山口の登り口(須山 |
文明18年 |
京都聖護院道興法准后親王来麓。 |
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噴火再び |
1511年 |
永正8年 |
再び噴火が始まり、かく登山口に浅間神社を |
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慶長9年 |
富士宮浅間 |
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須山口廃道の時代 |
1707年 |
宝永4年 |
須山口五合目が大噴火、須山口は分断され、道筋に第一火口、第二火口、第三火口が出現。この噴火を最後に現在まで噴火は収まっている。 |
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須山口の廃道の時代は、これまで修験者の登山が |
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1775年 |
安永4年 |
須走口と大宮口(現富士宮口)が頂上の |
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江戸幕府は争いを鎮めるため、富士山周辺の村の代表を集めて「八合目以上は浅間神社の物」と採決を言い渡す。その時、須山の代表は「須山口は今有るか」と問われる。須山の代表は「無い」と |
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須山口が栄えた |
1780年 |
安永9年 |
勝田惣次郎とその息子、勝田茂衛門(御師名: |
禄行三志 |
渡辺半蔵は「渡辺隼人」の御師株を復興に尽力した勝田惣次郎に譲り渡す。 |
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画家 小泉 斐が須山口一合目を登った時その様子を絵に書いている。 |
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1800年 |
寛政12年 |
須山口登山史上最も賑わった。 |
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富士講の大行者禄行三志によって女性たつ(辰)に男装をさせ富士山頂に立たせる。(吉田口) |
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英国公使 オールコックによって外国人の初登頂成る。(村山口) |
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須山口の衰退の |
1883年 |
明治16年 |
御殿場口登山道が開設され須山口二合八勺に連結。 |
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1885年 |
明治18年 |
陸軍参謀本部の地図に初めて冨士山(点の無い)の名前が載る。 |
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1889年 |
明治22年 |
東海道線開通、御殿場駅、佐野駅 |
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中央線開通。さらに大月上吉田間に |
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身延線大宮駅開設。村山口登山道が |
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佐野駅前に「富士山南表須山口」の |
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須山の有志は須山口の復興を願い |
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1912年 |
明治45年 |
須山口登山道の一部が陸軍用地に撤収される |
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須山口再び |
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須山口一合目(須山お胎内)ではまだ登山客が有り営業していた。 |
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1930年 |
昭和5年 |
内務省国立公園協会田村博士により、国立公園制定の為の調査が開始される。 |
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1933年 |
昭和8年 |
丹那トンネル開通を見込み三島新駅から |
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1934年 |
昭和9年 |
東海道丹那トンネル開通によって、国府津、沼津間が御殿場線に成る。 |
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1935年 |
昭和10年 |
国際冨士美村計画 |
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1936年 |
昭和11年 |
富士箱根国立公園制定。 |
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1964年 |
昭和39年 |
東海道新幹線開通。それを恐れた山梨県は |
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三島須山口登山バス路線開通。 |
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1978年 |
昭和53年 |
富士山資料館開館 |
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須山口復活 |
1994年 |
平成6年 |
富士山須山口復興の気運が盛り上がり |
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県や国に対して復興の手続きをして |
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須山口登山道 |
1997年 |
平成9年6月 |
富士山須山口登山歩道完成 |
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1999年 |
平成11年7月 |
富士山須山口下山歩道完成。 |
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2000年 |
平成12年 |
国土地理院「印野」の地図に須山口登山歩道と下山歩道の名前が明記される、 |
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須山浅間神社に京都聖護院道興法准后親王が幕岩で詠まれた歌碑が須山口登山歩道保存会の手により建立。 |
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須山口が復活して12年目全国に少しずつ認知度を深めている。 |
キャンプ場報 |
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平成21年2月 |
富士山を世界遺産にしようとの動きから、まず登山歩道を日本の文化財に指定しようと国と県が活動を始めた。 |
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平成24年8月 |
イコモスの調査官が現地入りをして構成資産の調査が終了した |
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世界遺産 |
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富士山が世界文化遺産として条件付きながら 登録決定 |
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JACメンバー来麓 |
令和元年12月5日 |
JACの晩餐会に全国から集う一部の皆さんが富士山須山古道に目を向けてくれて大野路に集い、翌日須山古道を散策しました。 |
登山の禁止 |
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