須山御胎内鳥居建立に参加して

H12年6月17日 山岳協会 勝又一歩


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須山の富士山須山口登山歩道保存会の皆さんが同歩道の一合目「須山御胎内」に
木花開耶姐命(コノハナサクヤヒメ)を祭ろうと、そしてその前面に鳥居と説明
板を立てる為に早朝出発したと聞いて、私も少しでも手伝うことができたらと思い、
一人車で水ヶ塚に向かう。日本ランドの料金所付近から見上げると富士山頂直下に
太く残雪が筋を為していた。一方下を見ると、裾野市内は雲の中。雨が降っている
かもしれない。頭上の雲は高いので、山頂のアンテナドームは廃業とはいえ健在だ。
水ヶ塚駐車場から御胎内まで歩くと、私の足で30分。早く現場に着くためには、
表富士スカイラインの旧登山入口から入るのが近いだろう。
太郎坊に向かい下り勾配のため少し行き過ぎてしまい、バックで戻り車を停める。
この入口から直登である。何分かかるか身支度をして午前9時30分に出発。
休まず登っていくと、大きなミズナラや楓の葉の緑が美しい。
その中からカッコウ、ウグイスそしてコマドリが励ましてくれる。
これだから山はやめられない。10分も登ると、人の声が聞こえた。
もうすぐ御胎内だ。入口を見つけると、すぐ皆が作業している現場に到着。
「こんにちは手伝いに来ました。」と挨拶をする。
既に鳥居は建っていて別な祠を据え付けていた。
祠の中の御神体は男性のシンボルとのこと。封をしてしまえば見ることができない
からと、富士に学ぶ会の会長手綱拓史氏が説明してくれたので、早速写真を撮る。

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一息入れた後、雨が来そうなので、保存会の皆さんは、足早に作業を進める。
私はもう少し写真をと思って準備していると、誰かが「出たぞ!」と大声をあげた。
驚いた私も駆けつけた。
案内板を設置しようと穴を掘っていたとき石に出くわし掘り出したところ
太さ15cmもあろうかと思われる御神体であった。
作業をしていた皆が集まり歓声をあげた。「もって行かれたものより大きいぞ」
「いつ頃のものだ?」「明治始めか、江戸か?」「良い事をすれば良い事がある
ものだ。」と、それぞれの思いが口に出た。私は急いで写真を撮った。
おそらく須山登山道が最盛期の頃、子宝に恵まれない人が奉納したものだろう。
もう他の人達は、これを何処に安置するか考えている。
小雨が降りだし、早く作業を終わらせようと急ぐ。私も鳥居の柱を磨いたり、
根本の土台の土をかき寄せたり、少しばかり手伝って、「よし、出来た。」
「いいだろう。」土屋定平会長や手綱氏の合図で軽トラックの荷台に乗せてもらい
下山する。歴史的な作業、歴史的な発見に遭遇出来たことはなんと幸運な事で
あろうと私は密かに喜んでいた。
早速誰かに話したい気分だった。
これから、須山御胎内は登山者で賑わうと同時に、安産や家庭円満の神として、
また登山者の安全を祈願する神として、多くの人が訪れてくれるだろうと確信
しながら裾野市の宝がまた一つ増えたことを皆さんにいち早く報告したかった。
なにせ物がモノだけに写真でお見せすることが出来ない。自分の足で確かめに
行って欲しいと願うところです。また、来る6月26日には木花開耶姐命と
子ども達の石像「子安大明神」が須山の彫刻家杉山拓さんの手で洞穴内に安置
されます。懐中電灯持参の上御胎内に入ってみて下さい。

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同歩道の一合目「須山御胎内」に多くの人が訪れ、祠がいつまでも祭られること
を願いながら報告を終わります。




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